♪ ← 「そうだ、京都 行こう」の歌。
さて、ごはんも食べ、お茶も飲んだ 私達一行は ふたたび 渡月橋から 大覚寺まで、歩いて戻る事に。
大覚寺 渡月橋 往復でございます。 お腹一杯になって、眠くなってる 私は もう あんま行きたくない。
娘「ねぇ、しおさん、ママ もう 飽きてるっぽいよ。 だんだん 静かになってんじゃん」 しお「そうなの?」 娘「この人ね、いきなり、電池切れるから」 しお「おい、どうにかしろよ、この母親。お前も苦労するねぇ」 なんか、二人で 私の悪口を言ってるっぽい。 いいや、しょうがない 行くか。
てくてく…。
途中 天竜寺 というのも見ました。
天竜寺を出て 又 道を歩くと 塀の外に 笑っている 可愛い お地蔵さん 3人組が。
あーー、あたし、カメラの電池がない! あんた達が私の事、電池が切れたとか 悪口言うから、カメラの電池切れたじゃん。
「しお!撮んな」と言ったものの 構図を狙っている しおさんを置いて 娘と二人歩く。
ノロいんだな…これが。
待ってらんない。 振り返ってみると しおさん、豆つぶ位に小さくなっているが かまわず、歩く。 で、もう一度 振り返ってみると 小走りに走って 私達に追いつこうとする塩さんが。
それを見て、 相談したわけでもないのに いきなり、ダッシュで逃げる 母娘。 我ながら意味わかんない。 ホント 無駄なエネルギー使ってるよなぁ。 かったるくなって、立ち止まった二人に追いついた塩さんが 「…俺と勝負しようと思うなよ」とか言う。 なにがだよ。
最初から勝ってんだよ、あたしは! ほっておくと 「俺は、高校生の時は100メートル 10秒台で走って 三重では 隼と呼ばれた男だ」とか言う。 くだらないから返事しないのに しつこく言う。 娘に「嘘だね。それ、オリンピックレベルじゃんよ。 それさ、100メートルじゃなくて、50メートルなんじゃないの? 昔の事だけど、良く考えてみなよ」 と言われ
「…そうだったかも知れない。」 「じゃ、別に早くないじゃん」 「そうだね。そうだよね」 で、終わるかと思ったら 「俺は毎朝 会社から歩いてるから 君達とは 比べ物にならない位鍛えてる」とか 自慢たらたらに言う。 聞きたくないので、いきなりダッシュで逃げる 母娘。 …と走って追いかける 塩。 古都 京都の 嵐山でやってんのが、こんな事なんだよー。
良く 「三人は仲間割れする」とか言うが 私達が仲間割れしないのは さっきまで 私の悪口を言って仲良かった 塩さんと娘だが 5分後には、塩さんを置き去りにして 私と走って逃げてる という お互いが「昨日の友は今日の敵」 みたいな関係だからだ。 「敵」が固定していない。 という事で、ここから 私の写真は 携帯です。 途中 こんなお寺もあった。


こんなお店も。  すごい いい 感じ。
塩さんに ジュースを買ってもらい ここのベンチで休憩。
私達の唯一の 長所は 三人とも 飽きっぽくて、怠け者であるため 誰かが「休憩しよう」というと 反対するものが誰もいない…という事だ。 誰かしらが、順番に「くたびれた」とか 「のど乾いた」とか「おしっこしたい」とか言う。 バスの計画を綿密に立てて置いて 帰りのバス停に行くまでに 「あ、タクシーが一杯止まってる。 乗っちゃおっと」 とそっちに歩いても誰も反対しない。
これって大事だよ。 旅に出るときには性格を合わせて置くってのは。 私達みたいのがバラでツアーに混じってみ。 嫌がられるよー。 「こういう団体行動できない方が参加されるのは どうかと思いますわ」とか言われたって その通りだよ。 迷惑なヤツは迷惑なヤツ同士で固まってると それは、それで案外上手く行く。 
あーー、やっと着いた。 もうすぐ、門!! 
ほらね! 

門から見た 式台玄関(幕みたいのがある所) そこに飾ってあった
 大覚寺は門跡寺院と言ってそれは
皇族その他の出身者によって相承される 特定の寺院を指す称号。
だそうです。
親王、法親王が住職として居住する寺院で 現在あるのは17門跡寺院の様ですが 実際には親王家に限って入寺するのは、 仁和寺、大覚寺、輪王寺の3門跡で、 その他は摂家からも入寺することができた そうで、大覚寺はとても格の高いお寺の様です。 …というのは、「え?なんで、お寺にお雛さまの服が?」と思って 今、調べて知ったばっかりですから間違ってるかもしれません。
ここは桓武天皇が794年に平安京を遷都した 20年後に即位した 嵯峨天皇が 后との新居として嵯峨院を建立されました。 これが現在の大覚寺の前身・嵯峨離宮だそうです。 そのご 嵯峨天皇の長女・正子内親王が 嵯峨院を大覚寺と号し、 初代門跡(住職)に淳和天皇皇子の恒寂入道親王を迎えられました。 そっかぁ…そうなのかぁ。 とか思ったフリをしようかと思いましたが
なんと綺麗な 平城京 鳴くよウグイス 平安京 とは覚えていても 誰が何をして、どうなったのかは とんと忘れてしまった ワタクシとしては、「…なるほど…」としか思えなく 今更ながら、教養のなさを思い知るのでした。 それだけでは 悔しいので これを書きながら 塩さんにメールで 「平安京ってなんだか、言ってみな」とメールを送っておいた。 「平安京は 平安京だよ」と言う返事で、ほっとした。 「まんが日本の歴史」をネットで全巻買った癖に 読んでないんだな。読んでも覚えてないんだな。 良かった。 仲良く 旅行をするには 性格を揃える他に アカデミック レベルも揃っていると尚 宜しいかと思われます。 左近の梅 右近の橘 の お話
左近の梅
 右近の橘 京都御所の紫宸殿は北を背にして南向きで、 (大覚寺の宸殿も同じ)
天皇の左(東)を守る近衛兵を「左近衛/四位
の身分」
西を守る近衛兵を「右近衛/五位の身分」と呼び、 向かって右が左近衛 向かって左が右近衛となり、
これにならって左近の桜、右近の橘と呼ぶそうです。
(御所…つまり天皇から見ての左 右 ですので えっと …下々が庭から御所を見た時には 左右が反対になります。 左近 桜は 右にあります) この写真は携帯ですので、 上手に写っていませんが 木の札に 右近の橘 と書いてあり そこで、初めて
「右近」って言うのは 寝殿から見ての右近なんだぁ…と思った次第。 大覚寺は「左近の梅」ですが 京都御所も最初は梅だったのが枯れてしまい それで桜を植えたそうです。 …というような事で その後 しおさんとは 今度 京都に行くときには(もう、次回行くことは決定) あらかじめ 歴史を勉強してから行こう! という事になりました。 そしたら、京都は もっと もっと面白い。 「源氏物語も読んで 俺は平安人になって行くよ。」 そっか、 でも 塩さんが追いかけてきたからって、意味の無く ダッシュで逃げる。 私と娘が走ったからと言って、意味も無く 全力で追いかける という事を 全行程やっているような私達は 「平安人」より、はるか昔の「原始人」なんだよ。 どっちが偉いかって言ったら 「古さ」で言ったら 原始人が偉い。
今回は写真がないもんだから、ネットで調べたことで 薀蓄垂れてると思われた方。
その通りです。 タイトルの上の写真は塩さんのです。 という事で次回は 原始人 神戸へ行く の巻きです。 
上手に写ってない携帯写真しかないもんで 大覚寺のHPからお借りした 宸殿前の 右近の橘 左近の梅の写真です。

これは 天皇に入内された徳川2代将軍秀忠の娘東福門院和子が、 女御御所の宸殿として使用していたもの。 …だそうで ございますです。
HP丸写し…の薀蓄でございます。
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