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KAYAMAMEAT
Diary



a la mer, de la mer, pour mon cheri


73



12月26日

Our last  Chirstmas
クリスマスの翌朝

クリスマスの前の街中はひと際、華やかです。

デパートも店もホテルも……。

この季節になると、「きれいだなぁ…」と思いながら余りの美しさ、まぶしさ、まばゆさに
なんとなく下を向くようにしていたのは、ずっと昔からです。

若い頃は、人と同じようにクリスマスというとドレスの上に傍目には寒そうな真っ白い
コートを着て、迎えに来た男の車に乗ったりしました。

車を置いて、人がぶつかりそうにして歩く街中を友達が集まっている店へ行きました。

周りの人を見て
「楽しそうだなぁ」とは思うのです。

そして、
「私も楽しそうに見えるんだろうな」と。

もちろん、哀しくはありませんでしたし、他にしたい事があるというわけではありません。

ただ、この華やかな光の中にいるのは、落ち着きませんでした。

上手に説明することができません。

夏のお祭りの屋台が沢山並び人がごった返す道を歩いていて、
ちょっと人混みをやりすごそうと、1本裏の路地を抜けようと 入ると
そこは いきなり暗く、お祭りとは切り離された生活の空間があり
そこで聞こえる人々の楽しそうなざわめきの声が何故か
寂しく聞こえる…というのと感じが似ているかもしれません。

私はこれが苦手でした。

ケーキがどこでも売っているようになった今ではすっかり見かけなくなりましたが
都心の会社に行くお父さんしかデコレーションケーキが買えなかった頃
イブの日に電車の網棚にはケーキの箱が ずらりと並びました。

不器用に似合わないケーキの箱を持つ人の帰る先の
暖かい場所を思って、お湯を飲んだように胸が温かくなりました。

ですから、 クリスマス お祭り お正月などに、外にいるというのが落ち着きませんでした。

こんな風ですから、結婚以来クリスマスはいつも家でした。

子供が生まれると、双方の親、義弟、叔母などが集まりますから
もう、クリスマスなんだか法事なんだかわからない親戚の寄り合いの様になりました。

私一人で用意をしますので、車の運転ができない私は
何回も自転車でスーパーを往復しました。

冷蔵庫には、入りきらない量の食品を買いますので、
野菜は北側のベランダでした。

前日にクリスマスケーキ用のスポンジを焼くことから下ごしらえを始めました。

赤ん坊から、年寄りまでいる集まりですから、
料理は煮物から、マリネから、グラタンから、もう、ごっちゃです。

少なくても10人、多ければ15人にもなりましたから
一人っ子で育った私が大人数の料理にはすっかり慣れました。

その時々のクリスマスがあったはずのに、思い出すのはいつも
長女が赤ちゃんで、私の母がまだ元気で、台所で働く私を何とか手伝おうと
うろうろして、結局邪魔だったあの頃です。

私は体が余り丈夫な方ではありませんので
母はいつも私を助けようとしていたなぁ…と思い出します。

クリスマスに限らず、外で過ごすという事が苦手だった私には、幸せな暮らしだったと思います。

途中、当然、長女の氾濫などありました。

友達とのクリスマスパーティーに行きたいのです。

「ママ、あの、百合子ちゃんたちとのクリスマスパーティーなんだけど
行ってもいいかな…」
「いいわよ、クリスマスの日以外だったら」
「クリスマスにやるから、クリスマスパーティーなんじゃん!!!」
「だめです。クリスマスと大晦日は家というのが、家の決まりです」
「そんなん、誰が決めたんだよ」
「あたし」
「そんなん、横暴じゃん!」
「そうです、この家で私は決めたキマリは地球より重いのです」

「なんで、そんな事、決めたんだよう」
「おじい様の遺言です」
「じぃじ、まだ、生きてんじゃん!!!」

「いえ、ワタクシの祖父です」
「嘘ばっか、そんな昔のお百姓さんが、クリスマスは家にいろなんて
言うワケないじゃん!!」
「とにかく、ダメ。」
「ママだってクリスマスパーティー行ったくせにっ!」
「うるさいっ!あっち行って洗濯物たためっ!」

「今年だけだからぁ…」
「だめ。一度ダメと言ったものは、100回言ったら、いいにはならない」

「それって、いつまでなんだようーー」
「あんたが、嫁に行くまで…」
「冗談やめてよーー」
「冗談じゃありません」

私は、内心は「高校まで」と思っていました。

家族というと絆が固いようですが、家族で過ごすのは
たった20年弱です。

その後は自分の人生を生きていかなくてはなりません。

そうなって貰わなくて困るのです。

家が懐かしくならないように、存分に…嫌という程、堪能して貰いましょう。

子供の友達がお泊りで来たクリスマスも、友人家族が一緒だったクリスマスもありました。

何かの本を読んでの聞きかじり情報で、いつも登場する隣の棟の奥さんと

「今年は正統派、ヨーロッパ クリスマスやるわよ!!」と
早めに食事の用意をして、すぐ食べられるようにテーブルに用意をし聖堂へ
…というのをやった年もあります。

どうも、どこだかの国はツリーに火を灯すのは教会に行く前で
ツリーに火をともして、暖炉にも火を入れ家を暖かくして
教会へミサで行くんだそうです。
食事は教会から帰ってからですから始まりは遅く、
夜通しおしゃべりを楽しむらしいのです。

外は寒いけれど、家は暖かい。
私が望んでいるのは、これだったのでしょう。

その本では窓際に蝋燭も灯していましたが
これは「火事んならねーか?」という事で却下。

準備を整えて車で聖堂へ。

ミサを終えて帰るはずが…ものの20分も経たない内に…
まだ、聖歌隊が並んだばかりなのに、
一番最初に飽きたのが

…なんと父親×2。

「帰りたい…」
「タバコすいてぇ…」
「寒い」
「いつから、クリスチャンになったんだ」
「ケツが痛ぇ」

車を運転する人が「帰りたい」と言ったら帰るしかありません。

…という事で、逆戻りで通常通りのごはん。……という年もありました。

あの日、寒かったなぁ…。

最初のクリスマスから20年が経とうとしています。

幸せな時だったと思います。
暖かい家の中から、外を見るクリスマスを過ごしてきました。

 

今年のクリスマス。

大学生になった長女はデパートのケーキ売り場でバイトをしていますので
大忙し。帰りは11時過ぎ。

次女は…なんとクリスマスだというのに10時まで、英語塾の英検特訓。

子ども達の父親は…なんだか広尾に新しく出来た知り合いの
和食のお店で会社のクリスマス パーティを企画したとか…。

初めて、誰もいないクリスマスです。

 

不思議と寂しくありません。

今までと同じようにクリスマスツリーはあります。
長女が生まれた時に作った、布のクリスマスツリーは今年もピアノの上です。

クリスマスのごちそうが並ばない初めてのテーブルに花を置きました。

子供が小さい頃、母親はいつも子供と手をつないでいます。

すぐに走り出すので、手をつなぐというより、捕まえているという方が
正しかった時期もあります。

その手を今、そっと離そうかと思います。

横暴と言われながら、私が握り締めていた手から離れた
家族の未来に幸せがありますように。

開いた私の手は、昔のように美しくありません。

指輪が似合わなくなった手に、これからは何が似合うでしょうか。

 


誰もいないリビングがクリスマスツリーの明かりだけで浮かび上がります。
意外な事にそれは寂しさとは違う暖かさでした。


 

 

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